2023年11月22日
さよならオザキ。さよならKAN。
再び言うが、
カセットテープを聴いている。
古いカセットテープが、
まだたくさんあるので。
高校生の頃から、
うん十年分の。
(↑年齢をごまかすこの言い方で、
年齢がバレるというものだが。
これも噂のおばさん構文か!?)
ただ捨てるのは忍びない。
時々は聞いて、
テープが伸びて、
音が曇ったりしたら、
その時は捨てる。
そんなだから、
なかなか減らせない。
もっと聞かなきゃ、
全部処分する前に、
自分が死んでしまうよ。

最近、
またカセットテープを聞き始め、
あいうえお順で尾崎豊の番だと、
昨日書いた。
尾崎豊のカセットテープは、
1本しかなかった。
そしてそれが、
再生を始めて間もなく、
おかしな音がして、
曲が止まった。
開けてみたら、
テープがわんさか出て、
ぐちゃぐちゃに絡んでいて、
切らなければ、
ラジカセから外せなかった。
1本しかなかった、
ではなくて、
1本だけになっていたのだ。
尾崎豊のカセットテープ、
他に数本あったのだが、
同じように傷んで、
既に捨てていた。
それだけ聴いていた、
ってことだ。
10代から20代にかけて。
ハサミを入れる瞬間、
なんだかしみじみした。
2度目のサヨナラ。
でも、
惜しむ気持ちはなかったな。
カセットテープで持っていたアルバムを、
もう一度入手しよう、
という気持ちはない。
彼の作ったメロディは、
今でも良いと思うが、
オザキの歌詞や歌声は、
私にとっては、
若い頃の心情にこそ響くもので。
今じっくり聴く感じではない。
今後もきっと、
テレビだったりラジオだったりで、
時々耳にするだろう。
その時、
懐かしいな、
と思えばいい。

・・・なんて書いておいて、
なんなのだが、
尾崎豊の後期のアルバムは、
CDでまだ持っている・・・。
「お」の次は「か」。
KANのテープもある。
KANの場合、
CDの方が多いが。
さようならだけど、
まだまだ聴くし、
ピアノも弾くね。



(C)世界でいちばん深い海にはまだ誰も潜ったことがない
カセットテープを聴いている。
古いカセットテープが、
まだたくさんあるので。
高校生の頃から、
うん十年分の。
(↑年齢をごまかすこの言い方で、
年齢がバレるというものだが。
これも噂のおばさん構文か!?)
ただ捨てるのは忍びない。
時々は聞いて、
テープが伸びて、
音が曇ったりしたら、
その時は捨てる。
そんなだから、
なかなか減らせない。
もっと聞かなきゃ、
全部処分する前に、
自分が死んでしまうよ。

最近、
またカセットテープを聞き始め、
あいうえお順で尾崎豊の番だと、
昨日書いた。
尾崎豊のカセットテープは、
1本しかなかった。
そしてそれが、
再生を始めて間もなく、
おかしな音がして、
曲が止まった。
開けてみたら、
テープがわんさか出て、
ぐちゃぐちゃに絡んでいて、
切らなければ、
ラジカセから外せなかった。
1本しかなかった、
ではなくて、
1本だけになっていたのだ。
尾崎豊のカセットテープ、
他に数本あったのだが、
同じように傷んで、
既に捨てていた。
それだけ聴いていた、
ってことだ。
10代から20代にかけて。
ハサミを入れる瞬間、
なんだかしみじみした。
2度目のサヨナラ。
でも、
惜しむ気持ちはなかったな。
カセットテープで持っていたアルバムを、
もう一度入手しよう、
という気持ちはない。
彼の作ったメロディは、
今でも良いと思うが、
オザキの歌詞や歌声は、
私にとっては、
若い頃の心情にこそ響くもので。
今じっくり聴く感じではない。
今後もきっと、
テレビだったりラジオだったりで、
時々耳にするだろう。
その時、
懐かしいな、
と思えばいい。

・・・なんて書いておいて、
なんなのだが、
尾崎豊の後期のアルバムは、
CDでまだ持っている・・・。
「お」の次は「か」。
KANのテープもある。
KANの場合、
CDの方が多いが。
さようならだけど、
まだまだ聴くし、
ピアノも弾くね。


(C)世界でいちばん深い海にはまだ誰も潜ったことがない
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